名番組

その昔「どっちの料理ショー」というテレビ番組があった。ウィキによれば、1995年に始まった「テンベストSHOW」の料理対決部分を引き継いで1997年から2005年まで、その後、新どっちの料理ショーとして1年半放送されていたようだ。「テンベストSHOW」を知らなかったのが残念なのと、新にリニューアルされて、つまらなくなったのを覚えている。

どっちの料理ショーは、毎週紹介される特選素材、それを料理するシェフ、多数決で決まる食べられる人、食べられない人、2人の司会者の掛け合い、最後までワクワクしながら見ていた。もちろん自分もどっちかを選んで。

過去の放送をたまに見たりするけど、シロウトの私でも収録は大変だったろうなぁと想像できる。今はお店を紹介するだけのグルメ番組ばかり、手間の掛け方が違う。この番組で知った「東京X」という豚肉、ちょっと高いけど間違いなく美味しいから、食べる量が減った最近になって買ってる。

食べることはみんなの共通項だから、美味しい店を紹介するのも悪いとは言わないけど、どこを見ても同じだと、結局どこも見なくなる。何か工夫してくれないと。

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成城石井

ここの所の急な気温変化と乾燥のせいか、人並みに風邪を引いた。と言っても寝込むほどではなく、喉が痛い、くしゃみと鼻水が出るくらい、1番困ったのは下を向いて洗い物をしていると鼻水が垂れそうになること・・。

昨日、夫の用事があって、一緒に行くつもりだったけれど、雨が降っているし、もうそろそろ1人で出掛けても大丈夫だろうということで、送り出した。お昼過ぎに用事が済んだと連絡があり、帰り道でまた電話。「東急ストアで、サンマが2匹で380円だけど買う?」とか聞いてくるので、「目が黒かったらね、買ったら大根も半分のを買って」

その後しばらくして、サンマに大根、それと「成城石井のチーズケーキ」を買って帰ってきた。サンマは脂がのって美味しかったし、大根は皮が薄くて良い大根だった。いつからこんな買い物上手になったのか、病院帰りやバスの旅での買い物は無駄じゃなかった。

今や「成城石井」と言えば、どこの駅ビル、デパ地下にも入るチェーンストアだけど、そのチェーン展開が始まる前、小田急線成城学園前駅にあった店で約30年前に買い物をした。夫の中学の同級生がこの辺に実家があり、年末に帰省、そうすると「ちょっと会おうぜ」みたいな話になる。まだ結婚したばかりだったので、くっついて行ったものの、この人達は何をしてるんだろう、何が楽しいんだろう的な遊びや話になる。

お昼をご馳走になって、とても美味しかったので、そうだ、お雑煮に使う鶏肉を聞いてみよう。「鶏肉はどこで買われますか?」とお母さんに聞いた。その答えが「石井よ。鶏肉は高いと言ってもたかが知れてるから、お正月だしね。間違いないわ」帰りに成城石井に寄って、鶏肉を買って帰った。

ウィキによれば、その3年後くらいからチェーン展開が始まり、様々な変遷を経て、現在に至っている。あの成城学園前のスーパーマーケットから名前だけは受け継がれているということだろうか。

私の風邪は気温上昇と共に良くなった。

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インフルA

この前、夫がインフルエンザA型に掛かった。イナビルという吸入式の薬がとても良く効いて、熱は程なく下がった。その話を娘にしていて、発熱つながりで小学生時代の真実を聞いた。

ウチの娘は滅多に熱を出さない、その点は親孝行な子どもだった。だからたまに熱を出すと、アイスクリームや桃の缶詰、果物など冷たくて食べやすい物をここぞとばかりに要求し、まぁ熱があるのだから仕方がないと食べさせていた。子どもって37℃台まではけっこう平気で、8度5分を超えると急に元気が無くなり、9度を超えると真っ赤になって、コイツ大丈夫か?と心配になる。

ウチには個室がなく、娘の机のある部屋がみんなの寝室で、ずっと川の字で寝ていた。そこに14インチのテレビがあって、熱が出ると布団を1枚だけ敷いて、大人しくしてるならテレビやビデオを見ても良いよ、って感じだった。

ある時、志村けんのバカ殿を見てゲラゲラ笑っていたら、ママがやって来た。怒られるのかと思ったら「良くなったのならご飯を食べなさい」と言ったとか。私はガミガミ系の母親だったので、熱を出した時だけ優しくなるのがすごく嬉しかったんだって。段々良くなってるのが分かっても「このやりたい放題生活を手放したくない」と、別の我慢をしてたみたい。

川の字の真ん中は私だったけど、次に熱を出すのは決まって夫、それで終わり。この前しみじみ考えたら、私はインフルエンザに掛かったことがない。大人になってからは予防接種もしたことがないのに。姉もそうみたいで、免疫力が高い家系ということになるのかな。こればっかりは選べないけどね。

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くじ運

娘が幼稚園の時、仲良しのお友達の家の近くに小さい八百屋さんがあって、遊んだ帰り道、時々買い物をした。おじさんとおばさんがやっているそのお店は、歳末大売り出しの時に福引きがあって、ある年、1枚しかない福引き券で娘が特賞の「イチゴ狩り招待券」を当ててしまった。え~、まさか1人で行かせるわけにはいかないし、どうしよう、と思っていたら、おじさんが「お母さんと一緒に来ればいいよ」と言ってくれた。

年が明けて1月か2月のある日、幼稚園を休んでお店の前から大型バスに乗って、いざ神奈川方面に出発。お昼は横浜中華街でバイキング、その後イチゴ狩り、娘は果物が大好きなので大喜びだった。特賞を当てた運の良い人ばかり40人くらいに可愛がってもらって、帰りは爆睡。

その頃の娘は本当にくじ運の良い子で、秋葉原で夫の買い物を待つ間に2人でゲームセンターで遊んでいたら、スロットマシーンからコインが止まらなくなり、店員が「お子さんは遊ばせないで下さい」と言いに来た。「なんで、出てない時には注意しないのに、今になってダメって言うのよ!」とブチキレて、ちょうどやって来た夫に「もう、行くよ!」と言って、そのまま外に出たことがあった。ワタシも若かったね。

20代も後半になった今、聞けば、くじ運は全く良くなくて、それも福引きをする前に「1等の旅行が当たっちゃったら、仕事どうしよう」とか心配しては、ティッシュをもらうらしい。やっぱり欲深いのがダメなんじゃない?昔は欲がなかったんだよ、という話になった。

そのお友達は小学校入学の年に引っ越したし、八百屋さんはビルになってテナントが入り、おじさんとおばさんは上の階で暮らしているようだ。歳末になると思い出す話。

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餃子麺棒

かっぱ橋道具街」で、今年も道具まつりをやっているとテレビから聞こえてきて、1度だけ行ったのを思い出した。

20年以上前、娘の幼稚園のお祭りで綿菓子屋さんをやることになり、ピンクや青の色つきザラメも使ったら子どもが喜ぶんじゃないか、と。今ならちょっと調べればどこで手に入るか分かるし、通販でも売ってるけど、ネットはまだ普及してなかった。学生時代のバイト先で聞いたことのある、かっぱ橋なら売ってるかも。他の出店も含めて機械を借りてくるなどと役割分担し、私はザラメを調達に。

かっぱ橋は最近はテレビでもよく見るけど、その頃はザ・業務用という感じ。銀座線で浅草の1つ手前、田原町駅から歩いていざ道具街へ。その中で食材を扱うお店を探して聞いたら、小売りもしてくれた。せっかく行ったのだから端から端まで見て歩いたけど、それ程広くはなくて、逆に楽しめた。

大きなお鍋やお店でよく見る食器のセット等に圧倒されつつ、私が買ったのは「餃子麺棒」1本、確か100円もしなかった。その頃、もう餃子を皮から作っていて、コレがあれば上手くできると思ったのかなぁ。それまで、いったい何で伸ばしていたのか・・記憶が無い。その後はずっと台所の引き出しにあって、餃子とピザの時が出番。

虹色の綿菓子は大好評で、綿菓子屋のお姉さんは手から腕から頭まで砂糖まみれになったけど、原価○円のザラメがいかに膨らむかを知って本当に驚いたのは覚えてる。

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シンクロ

この前、クイズ番組を見ていたら、回答者が元スポーツ選手で、現役時代にきつかったコトを聞かれていた。シンクロの選手が「とにかくたくさん食べて、そのあとすぐに練習だったこと」と答えて、それに対して司会のくりーむ上田が「食べてすぐ、八つ墓村みたいなコトをするわけですから・・」と言い、イラストが画面に。でも、あのポーズは「犬神家の一族」らしく、上田は「八つ墓村」と言った気がするけど、私の勘違いかも。

それで思い出したのが「札幌テルメ」のウォータースライダー。札幌テルメの屋内プールに結構大がかりなウォータースライダーがあって、自分達で階段の下からゴムボートを運び上げて滑って降りてくるシステムだった。なにせ空いているので順番待ちもない。ゴムボートは1人用と2人用があって、当時5~6歳だった娘にせがまれて登ったんだと思うけど、スタート地点は思ったより高くて、今なら絶対にムリ。20年前は若かった。

どうにか2人ともボートに乗ったまま降りてこられて、プールでやれやれと思ってると、係員のお兄さんが「次の人が来るからどいて下さい」と言うのだ。慌ててボートを引っ張って端によけた途端に、ザッパーン!と音がした。振り返ると、一瞬「すけきよ」ポーズになったと思ったら、どっちが上か分からないでもがいてる人がいた。「パパだ!」

すごい勢いで滑ってきて、滑り台の最後で少し上向きに投げ出され、ボートはどこかに吹っ飛んで、バックドロップを食らったような形で着水、深さ1mもないプールで溺れそうになったらしい。その時もお腹が痛くなるほど笑ったし、帰ってからも「これだよ~」とかVサインでマネをして娘とゲラゲラ笑っていると、「オレは死にそうになったんだからな」だって。

涙が出るまで笑うなんて、しばらくないなぁ。

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名前

昨日、姉と電話で話していて、この頃私は「○○ちゃん」と呼ばれてるなぁって思った。娘が生まれてからは「ママ」だったけどね。その姉も独り身のせいか、「おばちゃん」を拒否、娘が小さい時から名前の1文字にちゃんを付けて呼ばせている。便乗して私も今もそう呼ぶし、夫までもそう呼んで丸く収まっている。

私の名前は「子」が付かない、しかも「美」でも「代」でもない、当時としては珍しい。なんでも母がどうしても付けたくて、ホントは姉に付けたかったのを「長女は父親の1文字に子」という意見に押されて、私に回ってきた。だから姉妹で雰囲気が全く違っている。

その名前、嫌いじゃないけど画数が多く、挙げ句に旧姓の方も画数が多くて面倒だった。結婚して名字が普通の漢字になり、電話で名前を説明するのが簡単になって、結婚して良かったと思う瞬間だった。そう言えば、結婚前に、夫の友人達には「あの変な名前の子」と呼ばれていたらしい。

自分の娘が生まれた時、少数派になった「子」をどうしても付けたかった。学校ではクラスの女子20人位の中で「子」が付くのは数人だった。子どもの名前は親の自己満足、他人がとやかく言うことじゃないけど、正しく読んでもらえるのが大事かなって、子どもの頃、間違われたり「なんて読むの?」と言われてモジモジした経験から思う。

50代も後半になって、「ちゃん」付けで呼ばれるのは、ちょっと嬉しい。

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バックリブ

毎年、クリスマスはあんまり関係なく過ごすけど、スーパーはクリスマスムード、いなげやで「バックリブ」を見つけた。スペアリブはよく売ってて、ウチでは大根と煮るのが定番だけど、バックリブは珍しいから買って帰った。

若い頃、誰かが奮発するデートと言えば、青山の「トニーローマ」だった。今見たら「 トニーローマ青山店は、エイベックスビル建て替えに伴い2014年9月28日(日)をもちまして、閉店させて頂きます。移転先等に関しましては、決定次第、ご案内させて頂きます。34年間もの長い間、当店をご愛顧頂きまして誠にありがとうございました。」とのコメントが・・。表参道の名店「大坊珈琲店」も、ビルの取り壊しで昨年閉店したし、東横線の渋谷駅も壊していたね。

買って帰ったバックリブは「トニーローマのリブ」で検索して出てきた「スペアリブのバーベキュー」の茹でてから焼くレシピを参考に調理。オーブンだと焦げ目がなかなか付かなくて改善の余地アリだけど、ソースが美味しかった。茹でると脂が抜けて私向きだし、茹で汁は夫のラーメンに。

トニーローマに行くと、とりあえずフライドオニオンを頼んで、リブが来る前にお腹が膨れるんだけど、それでもお肉は別腹みたいに食べたのがつい昨日のことのようで、実は30年くらい前。ビルが壊され、肉が食べられなくなるのも当然か。

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濡れ衣

今年は秋が駆け足でやってきた感じ、おでんの話題もちらほら出ている。それで思い出したコト。

27~8年前、世田谷通り沿いにラジコンカーのお店ができて、よく遊びに行っていた。小さいけどコースがあって、ラジコン一式から消耗品を売っている。多分最初は夫が1人で走らせるのを横で見ていて、借りたりしてたと思う。すぐに自分のが欲しくなって、イヤ私が乱暴に走るから夫が貸してくれなくなったのかもしれない、とにかく1人1台で遊んでいた。

そんな時、私は妊娠し、ご飯の炊ける匂いやお味噌汁の匂いが何とも耐えられず、食べられるのはトマトとキャベツの千切り、心配になるくらい体重が減って、先生に大丈夫ですか?と聞いたら「赤ちゃんはちゃんと育っているけどまだ小さくて、今減っているのはお母さんの贅肉ですから」と言われ、なーんだと思ったのも懐かしい。

産んだらもう遊べないからと、相変わらずラジコンカーのお店には行ってた。ある夜、私が走らせていると、なんともイヤな匂いが漂ってきた。何だろうと店内を見回すと、入り口付近でしゃがんでおでんを食べている人が。「何やってるのよ、外で食べて!」「え~、オレ何も悪い事してないのに・・」と言いながら出て行く夫。

隣はセブンイレブン、おでんに罪はないけど、その時は耐えられなかったんだよね。

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としまえんの花火

としまえん」は練馬育ちの私にはとても馴染みのある遊園地、10代半ばまで、歩いても行ける所に住んでいて、泳げるようになったのはここのプールだし、初めてジェットコースターに乗ったのもここだった、・・はず。去年「観覧車」という記事にも書いた通り、娘が小さい頃にも行った。

としまえんで思い出すのは、夏の花火。私が小学生から中学生の頃、毎週土曜日の夜に打ち上げられていた。当時は高い建物もなくて、家の横の道から十分楽しめた。早めに家を出て、西武線と目白通りの立体交差まで歩くと、そこは絶好の場所だった。段々人が増えて、おまわりさんが立つようになり、車に向かって「花火を見ないで下さい」と呼び掛けていたっけ。

としまえんで花火が打ち上げられたのは、一体いつからだろうと思ったら、1967年(昭和42年)が第1回、どうも最初から引っ越すまでの5~6年間、楽しんでいたことになる。そして、今知ったのだけれど、10年くらい前に中止になっていた。打ち上げ場所が住宅街の中なので、様々な問題が起こったようだ。昔は畑ばかりだったけどね。

この前、何気なくテレビを見ていたら、としまえんの「あじさい祭り」を紹介していた。もう、わざわざ行くことはないと思うけど、懐かしいな。

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プロフィール

もふもふ903

Author:もふもふ903
昔は「スーパー主婦」と言われたこともあったけど、時は流れて、スーパーをうろつく「もふもふ主婦」に。
飼ったことは無いけれど、猫が大好きで、どこかで遭遇するのを楽しみに暮らしてる。

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