夏休み

6月末に梅雨明けの発表があった関東地方、6月中は観測史上初めてのコトらしい。雨は25日から降ってなくて、心の中で梅雨明けたんじゃない?って思ってた。

梅雨の戻り(そういう言葉があるのか分からないけど)があるかと思いきや、「梅雨明け10日」さながらに、起きたとたんに今日も良い天気なのが分かる。8時には外気温が30℃を超え、ちょっと湿気った風が吹く、あー、これってワタシが小学生だった時の夏休みの感じそのものだ。

その頃の梅雨明けは7/20頃、夏休みが始まる前後に梅雨明けだった。今年はまだ7月になったばかりなのと、日が長いの以外は梅雨明けの気候。

今年亡くなった母の実家が埼玉の久喜にあって、姉と2人で1ヶ月以上ずっと行っていたこともある。今の久喜とは全く違い、家の前には水田が広がり、庭でセミ取り、近所の子が誘ってくれれば川でザリガニ釣り、毎日の夕立・雷雨でスッと涼しくなる。蚊帳を吊ってもらって一騒ぎしてから寝る。

夏休みの宿題を全部背負っていくので、朝の涼しいウチに勉強しちゃいなさい、と言われたモノだ。何がそんなに楽しかったのか分からないけど、1日も30日間もあっと言う間に過ぎた。絵日記には事欠かないのに描くのは8月の末にまとめて。

夏休み頃の天候になったのだから、学校も夏休みにしないとね。

7/4追記 「梅雨の戻り」という言葉はあるようです。梅雨明けした後、また梅雨のような天気が続くこと、東京は今日から曇りがちで気温も少し下がりましたが、雨はまだ降ってません。台風の影響か、風が強いです。

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パディントン

もしかしたら、ミシンと同じくらい大事にしているのが、パディントンのペール缶。25年くらい前の年末かお正月に、フタコのソニープラザで「福缶」として売られていて、缶だけでもいいやって思うくらい可愛いくて一目惚れ。中を見て良いので、パディントンのぬいぐるみが1つ、ギュウギュウに入っているのを選んだ。

くまのパディントン」は若い時から好きで、本を何冊か持っていた。今wikiを見たら最初にイギリスで出版されたのが私が生まれた年、パディントンも還暦だ。本もぬいぐるみも、ガレージセールで売ったり処分したりしたけど、ペール缶だけは手放さずに来た。

今は捨てられない端布や縫い物関連の小物、ファスナーやボタン、バイヤステープや布テープ、その他のごちゃごちゃしたモノが入っている。丸い缶は四角い箱が多い中で収まりが悪いけど、そんなコトは関係がない。

近年、映画が作られたり、各地で「くまのパディントン展」をやっているのは生誕60周年だからみたい。今はちょうど渋谷で開催中、でも入場料1.400円は高すぎなので、ペール缶を眺めてパディントンのことを思えば十分。

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すっぴん

想像して頂かなくていいのだけど、ワタシは結婚以来32年間すっぴんである。化粧をしないだけでなく、基礎化粧品も使わない完全すっぴん(?)。今までの人生で化粧をしていたのは20代の前半だけ、結婚して専業主婦になってからは殆どしなくなった。子どもの幼稚園の入園式とかに、独身時代の化粧品を「まだ大丈夫だよね」みたいに使うと、家族内から「やめてくれー!」の大合唱。でも、若い頃にフォーマルっぽい服にすっぴんは、ソレはソレで違和感があり、じゃ口紅だけ、はもっと変になる。

先日亡くなった母はもちろん専業主婦、なのに毎日化粧してすごくお洒落な人だった。私のすっぴん主義は面倒くさいが1番で、母への反発が2番だったかも。ワタシ30母65の会話「あんた、クリームも塗らないの?」「うん」「今はいいけど、40過ぎたらしわくちゃになるよ」「は?じゃ、試してみるよ。お金掛けないでしわくちゃになるのは仕方ないし」

クリーム塗らないどころか、夏でも冬でも石けんで洗いっぱなし、子どもが小さい頃は夏は海、冬はスキーにも行ったけど、日焼け止めも塗らなかった。普段塗ってないので落とし方も分からないし、何にも待たずに旅行に行けるのはチョー楽ちん。元々肌が強かったのだとは思う。

で、結果は40過ぎは余裕綽々で通過、60近い今でもシワとシミは多少はあるけどしわくちゃではないし、自慢は真冬の洗顔後でもつっぱらないこと。

母はずっと小太りで、今みたいにサイズが豊富でない時代、自分でも作っていたけど、着れる服を見つけると逃さず買っていた。私は7年前に急に太って、体型が母そっくりに。この前、姉と施設に行って残った母の荷物を確認し、カーディガンを2着もらってきたのだけど、帰って羽織ってみるとサイズはピッタリ。自分では買わないお洒落な服、似合うかどうかが問題。

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突然止

1台目のエアコンを買ったのは結婚した年の夏、最初に住んだ狭いアパートで3年と少し、娘が生まれてちょっと広いアパートに引っ越して、エアコンも移設した。

引っ越して3年目くらいの8月にエアコンが急に動かなくなった。販売店かメーカーか、移設を頼んだ工事屋さんか、あるいは全部にか連絡しても、お盆だから修理に行けるのは1週間後と言われた。今ならそんなことはないのかもしれないけど、25年前はそうだった。勤め人だった夫も夏休みに入った所でガマンができなくて、とりあえず秋葉原に行こう、ということになった。当時のアキバはまだ電気街、行けばどうにかなる的な?

この時期に修理ができないということは取り付け工事もできない、たとえ新品を買ったとしても取り付けるのはしばらく先、と当然のことを言われた。そこで、窓用エアコンなら自分で付けられるから、北側の窓に付けて北側の部屋でみんなで過ごせばいいじゃん、と値段が安いのも味方にして購入。

で、電車で持って帰る根性はないので、タクシーのトランクに積んで帰宅。そのまま開梱して、予定通り北側の窓に取り付け無事作動。北側の部屋は和室の6畳で、川の字になって寝る部屋なんだけど、とりあえず冷たい風が出た時は「やったー!ここでご飯を食べよう!」と、小さなコタツを引っ張り出してきて、ご飯を食べた。

その頃その部屋にあるのは押し入れとタンス、テレビはないしもちろんパソコンもネットもない、何をするにもそこから出なくてはならない。結局、用事を済ませて涼みに行く感じ。寝室にエアコンが付いて良かった、ってコトにもならず、サーモスタット式のエアコンは、冷たい風が出るか止まるか、風が当たる人は寒くて寝る時にはとてもじゃないけど使えなかった。

お盆休みが終わりエアコンの修理(どこが故障したのかを全く覚えていない)をしてもらうと、もう北側のエアコンはほとんど使わなくなった。翌々年くらいに夫の会社の女子が遊びに来た時、何かの弾みで話が出て1万円くらいで買い取ってくれた。

冷房がないとガマンができないのも、だからって秋葉原に買いに行っちゃうのも、すべては若かったからだと思う。いや、ガマンできないのは変わらないかな。今、同じ事が起こったらどうなるか、想像するのも恐ろしい。

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名番組

その昔「どっちの料理ショー」というテレビ番組があった。ウィキによれば、1995年に始まった「テンベストSHOW」の料理対決部分を引き継いで1997年から2005年まで、その後、新どっちの料理ショーとして1年半放送されていたようだ。「テンベストSHOW」を知らなかったのが残念なのと、新にリニューアルされて、つまらなくなったのを覚えている。

どっちの料理ショーは、毎週紹介される特選素材、それを料理するシェフ、多数決で決まる食べられる人、食べられない人、2人の司会者の掛け合い、最後までワクワクしながら見ていた。もちろん自分もどっちかを選んで。

過去の放送をたまに見たりするけど、シロウトの私でも収録は大変だったろうなぁと想像できる。今はお店を紹介するだけのグルメ番組ばかり、手間の掛け方が違う。この番組で知った「東京X」という豚肉、ちょっと高いけど間違いなく美味しいから、食べる量が減った最近になって買ってる。

食べることはみんなの共通項だから、美味しい店を紹介するのも悪いとは言わないけど、どこを見ても同じだと、結局どこも見なくなる。何か工夫してくれないと。

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成城石井

ここの所の急な気温変化と乾燥のせいか、人並みに風邪を引いた。と言っても寝込むほどではなく、喉が痛い、くしゃみと鼻水が出るくらい、1番困ったのは下を向いて洗い物をしていると鼻水が垂れそうになること・・。

昨日、夫の用事があって、一緒に行くつもりだったけれど、雨が降っているし、もうそろそろ1人で出掛けても大丈夫だろうということで、送り出した。お昼過ぎに用事が済んだと連絡があり、帰り道でまた電話。「東急ストアで、サンマが2匹で380円だけど買う?」とか聞いてくるので、「目が黒かったらね、買ったら大根も半分のを買って」

その後しばらくして、サンマに大根、それと「成城石井のチーズケーキ」を買って帰ってきた。サンマは脂がのって美味しかったし、大根は皮が薄くて良い大根だった。いつからこんな買い物上手になったのか、病院帰りやバスの旅での買い物は無駄じゃなかった。

今や「成城石井」と言えば、どこの駅ビル、デパ地下にも入るチェーンストアだけど、そのチェーン展開が始まる前、小田急線成城学園前駅にあった店で約30年前に買い物をした。夫の中学の同級生がこの辺に実家があり、年末に帰省、そうすると「ちょっと会おうぜ」みたいな話になる。まだ結婚したばかりだったので、くっついて行ったものの、この人達は何をしてるんだろう、何が楽しいんだろう的な遊びや話になる。

お昼をご馳走になって、とても美味しかったので、そうだ、お雑煮に使う鶏肉を聞いてみよう。「鶏肉はどこで買われますか?」とお母さんに聞いた。その答えが「石井よ。鶏肉は高いと言ってもたかが知れてるから、お正月だしね。間違いないわ」帰りに成城石井に寄って、鶏肉を買って帰った。

ウィキによれば、その3年後くらいからチェーン展開が始まり、様々な変遷を経て、現在に至っている。あの成城学園前のスーパーマーケットから名前だけは受け継がれているということだろうか。

私の風邪は気温上昇と共に良くなった。

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インフルA

この前、夫がインフルエンザA型に掛かった。イナビルという吸入式の薬がとても良く効いて、熱は程なく下がった。その話を娘にしていて、発熱つながりで小学生時代の真実を聞いた。

ウチの娘は滅多に熱を出さない、その点は親孝行な子どもだった。だからたまに熱を出すと、アイスクリームや桃の缶詰、果物など冷たくて食べやすい物をここぞとばかりに要求し、まぁ熱があるのだから仕方がないと食べさせていた。子どもって37℃台まではけっこう平気で、8度5分を超えると急に元気が無くなり、9度を超えると真っ赤になって、コイツ大丈夫か?と心配になる。

ウチには個室がなく、娘の机のある部屋がみんなの寝室で、ずっと川の字で寝ていた。そこに14インチのテレビがあって、熱が出ると布団を1枚だけ敷いて、大人しくしてるならテレビやビデオを見ても良いよ、って感じだった。

ある時、志村けんのバカ殿を見てゲラゲラ笑っていたら、ママがやって来た。怒られるのかと思ったら「良くなったのならご飯を食べなさい」と言ったとか。私はガミガミ系の母親だったので、熱を出した時だけ優しくなるのがすごく嬉しかったんだって。段々良くなってるのが分かっても「このやりたい放題生活を手放したくない」と、別の我慢をしてたみたい。

川の字の真ん中は私だったけど、次に熱を出すのは決まって夫、それで終わり。この前しみじみ考えたら、私はインフルエンザに掛かったことがない。大人になってからは予防接種もしたことがないのに。姉もそうみたいで、免疫力が高い家系ということになるのかな。こればっかりは選べないけどね。

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くじ運

娘が幼稚園の時、仲良しのお友達の家の近くに小さい八百屋さんがあって、遊んだ帰り道、時々買い物をした。おじさんとおばさんがやっているそのお店は、歳末大売り出しの時に福引きがあって、ある年、1枚しかない福引き券で娘が特賞の「イチゴ狩り招待券」を当ててしまった。え~、まさか1人で行かせるわけにはいかないし、どうしよう、と思っていたら、おじさんが「お母さんと一緒に来ればいいよ」と言ってくれた。

年が明けて1月か2月のある日、幼稚園を休んでお店の前から大型バスに乗って、いざ神奈川方面に出発。お昼は横浜中華街でバイキング、その後イチゴ狩り、娘は果物が大好きなので大喜びだった。特賞を当てた運の良い人ばかり40人くらいに可愛がってもらって、帰りは爆睡。

その頃の娘は本当にくじ運の良い子で、秋葉原で夫の買い物を待つ間に2人でゲームセンターで遊んでいたら、スロットマシーンからコインが止まらなくなり、店員が「お子さんは遊ばせないで下さい」と言いに来た。「なんで、出てない時には注意しないのに、今になってダメって言うのよ!」とブチキレて、ちょうどやって来た夫に「もう、行くよ!」と言って、そのまま外に出たことがあった。ワタシも若かったね。

20代も後半になった今、聞けば、くじ運は全く良くなくて、それも福引きをする前に「1等の旅行が当たっちゃったら、仕事どうしよう」とか心配しては、ティッシュをもらうらしい。やっぱり欲深いのがダメなんじゃない?昔は欲がなかったんだよ、という話になった。

そのお友達は小学校入学の年に引っ越したし、八百屋さんはビルになってテナントが入り、おじさんとおばさんは上の階で暮らしているようだ。歳末になると思い出す話。

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餃子麺棒

かっぱ橋道具街」で、今年も道具まつりをやっているとテレビから聞こえてきて、1度だけ行ったのを思い出した。

20年以上前、娘の幼稚園のお祭りで綿菓子屋さんをやることになり、ピンクや青の色つきザラメも使ったら子どもが喜ぶんじゃないか、と。今ならちょっと調べればどこで手に入るか分かるし、通販でも売ってるけど、ネットはまだ普及してなかった。学生時代のバイト先で聞いたことのある、かっぱ橋なら売ってるかも。他の出店も含めて機械を借りてくるなどと役割分担し、私はザラメを調達に。

かっぱ橋は最近はテレビでもよく見るけど、その頃はザ・業務用という感じ。銀座線で浅草の1つ手前、田原町駅から歩いていざ道具街へ。その中で食材を扱うお店を探して聞いたら、小売りもしてくれた。せっかく行ったのだから端から端まで見て歩いたけど、それ程広くはなくて、逆に楽しめた。

大きなお鍋やお店でよく見る食器のセット等に圧倒されつつ、私が買ったのは「餃子麺棒」1本、確か100円もしなかった。その頃、もう餃子を皮から作っていて、コレがあれば上手くできると思ったのかなぁ。それまで、いったい何で伸ばしていたのか・・記憶が無い。その後はずっと台所の引き出しにあって、餃子とピザの時が出番。

虹色の綿菓子は大好評で、綿菓子屋のお姉さんは手から腕から頭まで砂糖まみれになったけど、原価○円のザラメがいかに膨らむかを知って本当に驚いたのは覚えてる。

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シンクロ

この前、クイズ番組を見ていたら、回答者が元スポーツ選手で、現役時代にきつかったコトを聞かれていた。シンクロの選手が「とにかくたくさん食べて、そのあとすぐに練習だったこと」と答えて、それに対して司会のくりーむ上田が「食べてすぐ、八つ墓村みたいなコトをするわけですから・・」と言い、イラストが画面に。でも、あのポーズは「犬神家の一族」らしく、上田は「八つ墓村」と言った気がするけど、私の勘違いかも。

それで思い出したのが「札幌テルメ」のウォータースライダー。札幌テルメの屋内プールに結構大がかりなウォータースライダーがあって、自分達で階段の下からゴムボートを運び上げて滑って降りてくるシステムだった。なにせ空いているので順番待ちもない。ゴムボートは1人用と2人用があって、当時5~6歳だった娘にせがまれて登ったんだと思うけど、スタート地点は思ったより高くて、今なら絶対にムリ。20年前は若かった。

どうにか2人ともボートに乗ったまま降りてこられて、プールでやれやれと思ってると、係員のお兄さんが「次の人が来るからどいて下さい」と言うのだ。慌ててボートを引っ張って端によけた途端に、ザッパーン!と音がした。振り返ると、一瞬「すけきよ」ポーズになったと思ったら、どっちが上か分からないでもがいてる人がいた。「パパだ!」

すごい勢いで滑ってきて、滑り台の最後で少し上向きに投げ出され、ボートはどこかに吹っ飛んで、バックドロップを食らったような形で着水、深さ1mもないプールで溺れそうになったらしい。その時もお腹が痛くなるほど笑ったし、帰ってからも「これだよ~」とかVサインでマネをして娘とゲラゲラ笑っていると、「オレは死にそうになったんだからな」だって。

涙が出るまで笑うなんて、しばらくないなぁ。

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プロフィール

もふもふ903

Author:もふもふ903
昔は「スーパー主婦」と言われたこともあったけど、時は流れて、スーパーをうろつく「もふもふ主婦」に。
飼ったことは無いけれど、猫が大好きで、どこかで遭遇するのを楽しみに暮らしてる。

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