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ラグビー

日本各地でラグビーワールドカップが開催中、どこの競技場も芝生が見事に整備されていて感心する。

35年位前の独身時代、国立競技場や秩父宮ラグビー場に大学ラグビーを見に行った。本来、ラグビーシーズンは秋が深まる頃に始まり、12月の1週が早明戦、お正月の2日に大学ラグビー選手権の準決勝2試合、次の日曜日に決勝、成人の日が全日本選手権決勝(社会人ラグビー優勝チームと学生チャンピオンが戦う)だった。

とにかく寒いので、男子チームが先に行って席を取り、女子チームはおにぎりなどのお弁当を作って後から行く。温かいスープを魔法瓶に詰めて持っていったり。男子チームは夫の幼なじみ達で明治OB、早稲田OB入り混じり、その中の一人と結婚したのが私の高校の同級生だった。

その後、私達も結婚したワケだけど、お正月にその仲間が集まってラグビーをテレビで何度か見るも、長くは続かなかった。更にその後、ラグビーそのものに興味を失っていった。大学ラグビーは明治や早稲田が優勝できなくなり、社会人では新日鉄釜石や神戸製鋼に代わってトヨタ自動車、サントリー、東芝、サンヨーなどが強くなった。

久し振りにラグビーの試合を見た。今、国内でどのチームが強いのかも知らないし、日本チームには色々な人がいて驚いたのだけど、世界で戦うにはフィジカルが絶対必要。開催国が決勝トーナメントに進めないことは、ほとんどないらしい。地の利があるものね。

今朝、TBSテレビで松尾雄治氏を見た。背広を着て解説するより、赤いジャージで走っていた方がずっとカッコよかった、ワタシもずいぶん年をとったというコトね。

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コーヒーミル

夫はコーヒー好きで、若い頃は馴染みの自家焙煎珈琲店が何軒かあった。私は紅茶党だったので、コーヒーの美味しさをあまり知らず、それまではお砂糖ミルクたっぷりで。

結婚して家でコーヒーを淹れるのに最初どうしたのか、インスタントコーヒーを買ったと思うが、あまり記憶がない。レギュラーコーヒーをどのタイミングで買い始めたのか、多分スーパーで買った豆をペーパーフィルターで淹れたと思う、あ、今と同じだ。その後、朝忙しいので、コーヒーメーカーも買ったりした。それとは別の飲み物という感じで、夫が通う自家焙煎珈琲店で豆を買うようになった。カウンターでコーヒーを飲んで、マスターが淹れるのをじっと見て、ネルドリップのお勉強。

その頃の夫はとても忙しく働いていたので、せめて美味しいコーヒーの1杯くらい淹れてあげようと思ったみたい、お店に飲み行く時間もないし。お店で飲むと1杯600円、豆は200g1400円で10杯分、得は得だけど、淹れるのにもそれだけ手間が掛かるし、同じ味が出せるワケじゃない。ただ、一連の焙煎作業にすごく手間を掛けるのを見てたから、豆を買う時にはちょっと申し訳ない気持ちになったモノだ。

せっかく美味しい豆で淹れるのだからミルも買おう、高いけど垂直方向に回すタイプがいいと、カリタの手動ミルを、まだ幼稚園に入る前の娘と一緒にフタコの高島屋に行って買った。重くて、持って帰るのを諦めて送ってもらって以来25年余り、お休みもありながらだけど、故障なし。

お店や毎日使う家庭なら、ある程度は大丈夫だろうけど、間が空いてしまうと残ったコーヒーのカスが酸化するから、それを掃除しないで新しい豆を挽くと変なニオイのコーヒーになる。もちろん最後の1粒まで挽くのだけど、分解して掃除すると思わぬ所にもカスがこびりついてる。第一コーヒーの豆を買ってきたら掃除、慣れればそんなに時間は掛からない。

あとはネルなんだけど、これは書き始めると非常に面倒くさいことになるので省略。

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カツ丼

先週のある日、カツ丼を作った。夫がまた何かで見たらしく、カツ丼を食べたいと言い出したから。何度も書いているけど、揚げ物の中でもフライは油の摂取量が多い。それに丼汁の砂糖、衣の小麦粉、多めの油で気持ちが悪くなる要素が揃う。それにも関わらず食べたいというし、ちょうどその時に小振りの豚ロースが2切れ、冷蔵庫にあった。コレも何かの巡り合わせと一念発起、そもそもカツ丼は天ぷらと双璧の面倒くさいと料理だと思う。なので、お惣菜のカツで作ったり、お弁当屋さんで買ったりしてた。それも夫の胃が有る頃の話、ここしばらくは食べていなかった。

子どもの頃、西武沿線に住んでいたので、月に1度くらい池袋に行くのが家族行事。買い物は西武デパート、反対側の西口にある「のとや」という食堂でお昼を食べるのが定番だった。私は毎回必ずカツ丼を選んで、食券の半券が持って行かれて、カツ丼が来るのをワクワクして待った。食が細い子だったのになぜかカツ丼、もしかしたら母親と分けたのかもしれない。当時、ウチの外食と言えばここぐらいだし、母は豚カツを揚げる事はあってもカツ丼を作る事はなかったと思う。

今回は1番最初に出汁をとって丼汁を作り、玉ねぎも切っておいた。肉は小振りのが2枚を例の低温から上げるので筋切りなし、蓋付きのアルミ鍋で2人分一緒に玉子でとじて、これならまたできると思った。夫は思ったよりたくさん食べて、案の定食後に少々苦しんでたけど、また食べたいと言うんじゃないかな。なにせ夫は「今度は大丈夫かもしれない病」で、苦しんだコトを忘れられる奇特な人。

のとやのことを調べると、同じ場所に「のとやビル」があって、建ったのが30年前、食堂はないみたいだけど、ごちゃごちゃした感じは50年前の記憶と重なる。あの食堂のテーブルでワクワクして待ったカツ丼、50年経ってもワクワクするのは変わらない。

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復活の呪文

今回の風邪からは5日くらいで復活して、一応日常に戻ることができた。復活と言えば思い出すのは「復活の呪文」ドラクエⅡだろう。

ⅠからⅡになって呪文がメチャクチャ長くなって、書き間違い頻発。その度にアンタが悪い、と大もめ。そこで、夫はゲーム機とビデオデッキをつないで録画、こういうコトだけは良く思いつく。これは画期的で、その後揉め事が減ったのは言うまでもない。が、当時はベータのビデオテープで、ずっと録画してるとすぐにテープが終わりになるので、セーブする時だけ録画しようとすると、肝心な時に忘れたり。

最近のゲームはやらないけど、こんな苦労はないだろう。だからやらないとも言える。個人的にドラクエⅡが1番の名作だと思ってて、Ⅲをやってガッカリして以来ドラクエはやらなくなったし、FFもやらなかった。

実生活で、間違った呪文を唱えて、復活できない事態は避けたい。

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お餅つき

一昨日の午後、夫の用事に付き合った後、目黒の商店街に回って、おでん種と大根などの八百屋物を買った。荷物を持って帰り際、商店街の端で「ポンポンポン」という音が聞こえた。夫が何だろうと言うので戻ってみると、お米屋さんの裏で音がしていて湯気が出ている。お餅をついているんじゃない?と、聞いてみれば、やっぱりお餅をついていると言う。

夫が「売ってもらえますか?」と、ものすごい勢いで言うので、お店の人は、明日になれば持って帰れるかもしれないけど・・、と困った様子。今ついているお餅をどうやってバスに乗って持って帰るのか?知らない人は困るよ、スミマセンでした、と言ってバス停に向かった。

夫はつきたてのお餅を食べたことがない、つまりお餅つきを知らないらしい。私の両親は田舎の出身なので、年末には埼玉の母の実家でお餅つきをした。ずっと昔は薪のたき火で餅米を蒸かして、おじいちゃんが杵でついていた。つきたてのお餅をちぎって好きなだけ食べながら、小さい鏡餅を作ったりした。のし餅を切るのは翌日だったかな、端っこはよく乾かして揚げてかき餅になった。

いつの頃か臼と杵が餅つき機に変わって、それでどれくらいまでお餅つきをしていたのか、全く記憶がないのだけど、シングルパックのお餅が1年中売られるようになって、お餅はお正月だけのモノではなくなった。

次にお餅つきを手伝ったのは子どもの幼稚園や児童館だった。もちろん臼と杵でつくので昔取った杵柄、と言っても返し手専門。子ども達も1人ずつ細い杵でついて、お餅を丸めた。つきたてのお餅を食べたいなら、ボロ市で代官餅の大行列に並ぶしかないと思ったけど、児童館で手伝いもアリ、かな。

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長嶋一茂

ここの所、テレビで引っ張りだこの一茂氏。どうでもいいコトだけど、私は10代の頃は長嶋さんが大好きだった。実家で当時1台しかないテレビは、父の意向で野球中継を延々見ることが多かった。父がGファンなのかどうかは不明だけど、私の心には「4番サード長嶋」が入り込んだ。

長嶋さんが、東京オリンピックのコンパニオンだった亜希子さんと「ON、オリンピックを行く」という企画で出会ってすぐに結婚したのも、4人子どもがいるのも知っていた。長嶋さんのお茶目なエピソードはたくさんあって、子どもの頃の一茂氏を試合後球場に忘れて帰ったのは有名。あと、靴下を両方片足に履いて、片方がナイナイと探し回ったとか。

私が高校1年の秋、長嶋さんは現役を退き、そのセレモニーを文化祭の代休だった月曜日に生中継で見て泣いた。その後監督となってからは徐々に興味を失っていった。結婚したら、夫が球技全般、特にプロ野球を嫌いな人だったので、野球中継はもちろん、スポーツニュースも見ることはなくなった。だから一茂氏がドラフトでヤクルトに入ったのも、その後Gにトレードされたのも知ってると知らないの間くらいだった。

その後一茂氏を見たのは「さんまのSUPERからくりTV」で、本人はさんまに感謝してるらしいけど、全く面白くなかった。それが最近になって、クリームシチューのクイズ番組やサンドイッチマンと一緒にバスの旅をする企画など、あとは羽鳥慎一モーニングショウの金曜コメンテーターの発言で面白いと思うコトがある。

最近、本人に思い入れがあるハワイで、色々話す番組を見た。その中で、52歳になった今頃は何処かのプロ野球チームの監督をやっているだろうと、若い頃は思っていたとか、ドラフト会議3日前に「おまえはプロは辞めなさい」と母親に言われたとか、初めて聞く話だった。偉大すぎる親と同じ道を進むのは過酷な選択、それが本人には分からない。まぁ私の親は凡人なので、偉そうなことは言えないけど。

親は親、自分は自分と吹っ切れた時に花は開く。野球のセンスは少し違っても、お茶目な所はお父さんにそっくりだと思う。

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夏休み

6月末に梅雨明けの発表があった関東地方、6月中は観測史上初めてのコトらしい。雨は25日から降ってなくて、心の中で梅雨明けたんじゃない?って思ってた。

梅雨の戻り(そういう言葉があるのか分からないけど)があるかと思いきや、「梅雨明け10日」さながらに、起きたとたんに今日も良い天気なのが分かる。8時には外気温が30℃を超え、ちょっと湿気った風が吹く、あー、これってワタシが小学生だった時の夏休みの感じそのものだ。

その頃の梅雨明けは7/20頃、夏休みが始まる前後に梅雨明けだった。今年はまだ7月になったばかりなのと、日が長いの以外は梅雨明けの気候。

今年亡くなった母の実家が埼玉の久喜にあって、姉と2人で1ヶ月以上ずっと行っていたこともある。今の久喜とは全く違い、家の前には水田が広がり、庭でセミ取り、近所の子が誘ってくれれば川でザリガニ釣り、毎日の夕立・雷雨でスッと涼しくなる。蚊帳を吊ってもらって一騒ぎしてから寝る。

夏休みの宿題を全部背負っていくので、朝の涼しいウチに勉強しちゃいなさい、と言われたモノだ。何がそんなに楽しかったのか分からないけど、1日も30日間もあっと言う間に過ぎた。絵日記には事欠かないのに描くのは8月の末にまとめて。

夏休み頃の天候になったのだから、学校も夏休みにしないとね。

7/4追記 「梅雨の戻り」という言葉はあるようです。梅雨明けした後、また梅雨のような天気が続くこと、東京は今日から曇りがちで気温も少し下がりましたが、雨はまだ降ってません。台風の影響か、風が強いです。

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パディントン

もしかしたら、ミシンと同じくらい大事にしているのが、パディントンのペール缶。25年くらい前の年末かお正月に、フタコのソニープラザで「福缶」として売られていて、缶だけでもいいやって思うくらい可愛いくて一目惚れ。中を見て良いので、パディントンのぬいぐるみが1つ、ギュウギュウに入っているのを選んだ。

くまのパディントン」は若い時から好きで、本を何冊か持っていた。今wikiを見たら最初にイギリスで出版されたのが私が生まれた年、パディントンも還暦だ。本もぬいぐるみも、ガレージセールで売ったり処分したりしたけど、ペール缶だけは手放さずに来た。

今は捨てられない端布や縫い物関連の小物、ファスナーやボタン、バイヤステープや布テープ、その他のごちゃごちゃしたモノが入っている。丸い缶は四角い箱が多い中で収まりが悪いけど、そんなコトは関係がない。

近年、映画が作られたり、各地で「くまのパディントン展」をやっているのは生誕60周年だからみたい。今はちょうど渋谷で開催中、でも入場料1.400円は高すぎなので、ペール缶を眺めてパディントンのことを思えば十分。

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すっぴん

想像して頂かなくていいのだけど、ワタシは結婚以来32年間すっぴんである。化粧をしないだけでなく、基礎化粧品も使わない完全すっぴん(?)。今までの人生で化粧をしていたのは20代の前半だけ、結婚して専業主婦になってからは殆どしなくなった。子どもの幼稚園の入園式とかに、独身時代の化粧品を「まだ大丈夫だよね」みたいに使うと、家族内から「やめてくれー!」の大合唱。でも、若い頃にフォーマルっぽい服にすっぴんは、ソレはソレで違和感があり、じゃ口紅だけ、はもっと変になる。

先日亡くなった母はもちろん専業主婦、なのに毎日化粧してすごくお洒落な人だった。私のすっぴん主義は面倒くさいが1番で、母への反発が2番だったかも。ワタシ30母65の会話「あんた、クリームも塗らないの?」「うん」「今はいいけど、40過ぎたらしわくちゃになるよ」「は?じゃ、試してみるよ。お金掛けないでしわくちゃになるのは仕方ないし」

クリーム塗らないどころか、夏でも冬でも石けんで洗いっぱなし、子どもが小さい頃は夏は海、冬はスキーにも行ったけど、日焼け止めも塗らなかった。普段塗ってないので落とし方も分からないし、何にも待たずに旅行に行けるのはチョー楽ちん。元々肌が強かったのだとは思う。

で、結果は40過ぎは余裕綽々で通過、60近い今でもシワとシミは多少はあるけどしわくちゃではないし、自慢は真冬の洗顔後でもつっぱらないこと。

母はずっと小太りで、今みたいにサイズが豊富でない時代、自分でも作っていたけど、着れる服を見つけると逃さず買っていた。私は7年前に急に太って、体型が母そっくりに。この前、姉と施設に行って残った母の荷物を確認し、カーディガンを2着もらってきたのだけど、帰って羽織ってみるとサイズはピッタリ。自分では買わないお洒落な服、似合うかどうかが問題。

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突然止

1台目のエアコンを買ったのは結婚した年の夏、最初に住んだ狭いアパートで3年と少し、娘が生まれてちょっと広いアパートに引っ越して、エアコンも移設した。

引っ越して3年目くらいの8月にエアコンが急に動かなくなった。販売店かメーカーか、移設を頼んだ工事屋さんか、あるいは全部にか連絡しても、お盆だから修理に行けるのは1週間後と言われた。今ならそんなことはないのかもしれないけど、25年前はそうだった。勤め人だった夫も夏休みに入った所でガマンができなくて、とりあえず秋葉原に行こう、ということになった。当時のアキバはまだ電気街、行けばどうにかなる的な?

この時期に修理ができないということは取り付け工事もできない、たとえ新品を買ったとしても取り付けるのはしばらく先、と当然のことを言われた。そこで、窓用エアコンなら自分で付けられるから、北側の窓に付けて北側の部屋でみんなで過ごせばいいじゃん、と値段が安いのも味方にして購入。

で、電車で持って帰る根性はないので、タクシーのトランクに積んで帰宅。そのまま開梱して、予定通り北側の窓に取り付け無事作動。北側の部屋は和室の6畳で、川の字になって寝る部屋なんだけど、とりあえず冷たい風が出た時は「やったー!ここでご飯を食べよう!」と、小さなコタツを引っ張り出してきて、ご飯を食べた。

その頃その部屋にあるのは押し入れとタンス、テレビはないしもちろんパソコンもネットもない、何をするにもそこから出なくてはならない。結局、用事を済ませて涼みに行く感じ。寝室にエアコンが付いて良かった、ってコトにもならず、サーモスタット式のエアコンは、冷たい風が出るか止まるか、風が当たる人は寒くて寝る時にはとてもじゃないけど使えなかった。

お盆休みが終わりエアコンの修理(どこが故障したのかを全く覚えていない)をしてもらうと、もう北側のエアコンはほとんど使わなくなった。翌々年くらいに夫の会社の女子が遊びに来た時、何かの弾みで話が出て1万円くらいで買い取ってくれた。

冷房がないとガマンができないのも、だからって秋葉原に買いに行っちゃうのも、すべては若かったからだと思う。いや、ガマンできないのは変わらないかな。今、同じ事が起こったらどうなるか、想像するのも恐ろしい。

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プロフィール

もふもふ903

Author:もふもふ903
昔は「スーパー主婦」と言われたこともあったけど、時は流れて、スーパーをうろつく「もふもふ主婦」に。
飼ったことは無いけれど、猫が大好きで、どこかで遭遇するのを楽しみに暮らしてる。

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